青森の有名な食べ物が、いつ、どのようにして生まれたのかを、郷土料理、ご当地グルメ、陸奥湾のホタテとりんごに分けて紹介します。

郷土料理としょうが味噌おでん・イカメンチの由来は農林水産省「うちの郷土料理」の各料理のページとAREA STORIES、十和田バラ焼きと味噌カレー牛乳ラーメンはAmazing AOMORI(青森県観光情報サイト)、黒石つゆやきそばは黒石市のページで確かめました。

出典が「といわれる」「諸説ある」と書いている由来は、この記事でも言い切らずにそのまま書いています。

有名な食べ物と始まりの早見表

食べ物主な地域始まりと由来の要点
貝焼き味噌津軽地方・下北地方江戸時代から食べていたといわれる漁師料理
せんべい汁八戸市保存食の南部せんべいを汁に入れて煮た料理。呼び名が定着したのは平成になってから
いちご煮八戸市や階上町などの太平洋沿岸漁師が浜で煮たのが始まりといい、大正時代に料亭の料理になった
じゃっぱ汁津軽地方正月のタラのアラを煮こんだ真冬の家庭料理
けの汁津軽地方小正月の料理で、名前の由来には諸説がある
しょうが味噌おでん青森市周辺戦後の闇市の屋台で、青函連絡船に乗る客のために出したのが始まりという
イカメンチ津軽地方刺身にした残りのゲソを使ったのが始まりという
十和田バラ焼き十和田市戦後に三沢の米軍基地前の屋台で生まれたといわれる
黒石つゆやきそば黒石市昭和30年代後半に「つゆそば」として生まれた
味噌カレー牛乳ラーメン青森市昭和50年代の「味の札幌」の隠れメニューから、昭和53年に正式メニューになった

津軽・南部・下北で違う食文化

農林水産省の「うちの郷土料理」のAREA STORIES(青森県)は、奥羽山脈を境に西側を「津軽地方」、東側を「南部地方」と大きく分け、この呼び名は藩政時代の大名の津軽氏と南部氏に由来すると書いています。

同じページで、青森県の郷土料理を研究する柴田学園大学短期大学部の北山育子さんは、青森県の食文化を津軽地方の「米文化」、南部地方の「粉文化」、下北地方の「いも文化」の3つに分けています。

北山さんによると、津軽地方では江戸時代に歴代の津軽藩主が治水工事と新田開発を進め、米づくりが盛んになりました。

南部地方はやませの影響を受けて米づくりに向かず、小麦粉や粟・ひえなどを食べる「粉食・雑穀」の食文化が根づきました。

下北半島にはじゃがいもが根づき、薄く切って乾かす「かんなかけいも」という保存食が伝わっています。

この記事で取り上げる料理も、南部地方の小麦粉を使ったせんべい汁、津軽地方の正月や小正月の料理であるじゃっぱ汁やけの汁のように、地域の食文化とつながっています。

郷土料理の由来

貝焼き味噌|ホタテの貝殻を鍋にした漁師料理

農林水産省のページによると、貝焼き味噌は江戸時代からすでに食べられていたといわれます。

網で海底をさらうと5から10年物の天然ホタテが獲れた時代に、直径20cmほどもある大きな貝殻を鍋の代わりにして、イワシやサバの切り身と自家製の味噌をのせて焼いた素朴な漁師料理でした。

のちに庶民も卵を手に入れられるようになり、溶き卵でとじるようになりましたが、当時は栄養をつけるために病人や妊産婦だけが口にできる特別な味だったといいます。

津軽出身の太宰治は、著書「津軽」の中で貝焼き味噌への憧れを綴っています。

AREA STORIESは下北地方の「味噌貝焼き」について、一昔前は各家庭にホタテの貝殻を常備していたと書いています。

せんべい汁|保存食の南部せんべいから生まれた鍋

農林水産省のページは、南部せんべいを、旧南部藩の領地だった青森県南東部から岩手県北部にかけての伝統食品で、小麦粉に塩と水を混ぜて鉄製の型で丸く焼いたものと説明しています。

戦前は多くの農家が鉄製の型を持っていて、せんべいは冷害が多く米がよく取れなかった地域の貴重な保存食でした。

AREA STORIESは、八戸藩では麦せんべいやそばせんべいを米の代わりの主食にしていたといわれ、明治時代になると固く焼いた「南部せんべい」が登場して、ちぎって汁物の具にすることもあったと書いています。

せんべい汁の起源には諸説ありますが、農林水産省のページは、戦前に川で捕れたウグイのあら汁にせんべいを入れて煮たのがきっかけという説を紹介しています。

戦時中に鉄鍋を軍需物資として供出したため、農家はせんべいをつくらなくなり、戦後になって、製造業者が汁を吸っても煮崩れしない汁用のせんべいを開発しました。

家庭だけで食べる地味な料理と思われていたものを観光客向けの名物にしようと、八戸市の観光団体がPRに乗り出し、「せんべい汁」という呼び名は平成になってから定着しました。

いちご煮|浜で煮たウニとアワビが料亭の吸い物に

いちご煮は、その昔、漁師らが潜って捕ったウニやアワビを浜で煮たのが始まりといわれ、大正時代に料亭でお椀に盛り付けて出す料理になりました。

椀に盛ると、アワビなどのエキスで乳白色に濁った汁に黄金色のウニが浮かび、それが朝露にかすむ野いちごのように見えたことから、この名前が付けられました。

今は結婚式などの祝い事に欠かせない料理として受け継がれていて、1980年に地元の業者が缶詰を開発してからは土産品としても知られるようになりました。

じゃっぱ汁|正月の真鱈のアラを使う冬の汁

「じゃっぱ」は津軽の方言で雑把(ざっぱ)のことで、「捨てるもの」という意味です。

AREA STORIESによると、津軽の正月に欠かせない真鱈は藩政時代に献上魚として大切にされ、10月〜11月に揚がった初鱈は城内の「山吹の間」という特別な部屋に飾られてから藩主のもとへ届けられました。

農林水産省のページによると、昔は大きなタラを丸ごと一尾買い、雪道を引きずって帰るのが年の瀬の風物詩でした。

身を取ったあとのアラを大根や人参、ねぎなどと一緒に煮こんだ汁で、冷え切った体を温めたのがじゃっぱ汁です。

けの汁|小正月のためにつくりおきした汁

けの汁の名前の由来には諸説があり、農林水産省のページは、津軽の方言で粥(かゆ)を「け」と呼ぶことから「かゆの汁」とする説などを挙げています。

米が貴重だった時代に、細かく刻んだ具材を米に見立てて食べたといい、約400年前の津軽藩祖・為信の時代から受け継がれたという説もあります。

正月に家族の世話や来客の対応に追われた嫁が小正月に里帰りする際、男衆のためにつくりおきした料理で、凍りついた汁を崩して温めなおし、何日も食べたといいます。

ご当地グルメの始まり

しょうが味噌おでん|闇市の屋台から始まったという食べ方

農林水産省のページによると、おでんにしょうが入りの味噌をかける食べ方が生まれたのは戦後の闇市の屋台です。

真冬に北海道の函館へわたる青函連絡船に乗る客の体を少しでも温めようと、屋台のおかみさんが出したのが始まりといいます。

同じページは、もともと味噌文化が根付いていた青森ならではの味としていて、平成17年(2005年)には「青森おでんの会」が発足しました。

イカメンチ|刺身の残りのゲソを使い切る家庭料理

イカメンチは、イカを刺身にしたときに残るゲソを叩いてミンチにし、たまねぎや人参と一緒に小麦粉でまとめて揚げたのが始まりといわれます。

諸説ありますが、終戦直後の食糧難の時代に、イカを残さず食べ、野菜くずも食べられるように工夫されたといわれています。

十和田バラ焼き|三沢の屋台で生まれたといわれる味

Amazing AOMORIによると、十和田バラ焼きのもとになったバラ焼きは、戦後に三沢の米軍基地前の屋台で生まれたといわれます。

それが十和田に伝わって、市内に広まりました。

黒石つゆやきそば|やきそばにつゆをかけた「つゆそば」

黒石市のページによると、黒石やきそばは戦後まもなく作られ、昭和30年頃には子供のおやつとして売られていました。

その黒石やきそばに「つゆ」をかけた「つゆそば」は、昭和30年代後半に中学校近くの店で生まれたと、黒石市は紹介しています。

味噌カレー牛乳ラーメン|中高生の食べ方から正式メニューへ

Amazing AOMORIの特集によると、「味の札幌」は、当時まだ青森市民になじみの薄かった味噌ラーメンを青森市民の口に合うように改良して出していた店で、映画館内のテナントでした。

昭和50年代、店に来る中高生のあいだで、ラーメンにケチャップやマヨネーズなどを組み合わせて食べることがはやり、試行錯誤の末に、味噌ラーメンにカレー粉と牛乳を入れる食べ方に行き着きました。

はじめは隠れメニューでしたが、中高生の要望を受けて昭和53年に正式なメニューになりました。

ホタテとりんごの始まり

陸奥湾のホタテ|養殖の成功で湾岸の名物に

AREA STORIESによると、陸奥湾には古くからホタテが生息していて、昭和30年代に養殖が成功したことで、「陸奥湾ホタテ」が湾岸の地域の名物になりました。

りんご|明治の振興事業で広がった栽培

AREA STORIESによると、青森のりんご栽培の礎は近代に形づくられたもので、明治政府の振興事業によって苗木と栽培技術がもたらされました。

はじめは河岸の丘や河川敷に栽培地が開かれ、需要が増えるにつれて畑地や台地、山々へと広がっていきました。

今では、農林水産省の「青森県の農林水産業の概要」で、令和6年のりんごの収穫量は青森県が全国1位です。

由来を知ったうえで食べるには

郷土料理を地域ごとに知りたいときは地域ごとの郷土料理と食べる時期を、魚介を使った料理の材料や旬は魚介を使った青森の郷土料理をご覧ください。

せんべい汁の作り方はせんべい汁の材料と作り方に、味噌カレー牛乳ラーメンを出す店は味噌カレー牛乳ラーメンを出す青森市の店に、津軽の煮干しラーメンの由来は津軽の煮干しラーメンの由来とだしにまとめています。

りんごやにんにくなどの特産品は収穫量の多い青森の特産品で紹介しています。

名物をひと通り知りたいときは郷土料理からりんごまでの名物の一覧を、ジャンルで選ぶときは海鮮やご当地グルメなどジャンルごとの名物を、朝・昼・夜で選ぶときは朝・昼・夜の時間帯に合わせた選び方をご覧ください。

食べられる場所と近くの観光地は名物と近くの観光地の組み合わせに、旬は統計と旬の食材カレンダーで見る青森の食べ物にまとめています。

この記事で取り上げなかったこと

旧版は青森の食べ物を水産物・果実・乳製品に分け、それぞれの味の特徴と向いている場面を表にしていましたが、乳製品を青森の名物の柱とする一次情報が見つからず、味の説明にも出典がないので、料理ごとの由来に書き直しました。

旧版にあった、交易の中継地として食材や調理法が持ち込まれたという説明、余った食材を菓子に回す生産の仕組み、保存や温度管理の助言、体験ツアーの注意などの一般論は、一次情報で確かめられなかったので書いていません。

※郷土料理の歴史と由来、陸奥湾のホタテの養殖とりんごの栽培の始まりは農林水産省「うちの郷土料理」(青森県の各料理のページとAREA STORIES)、十和田バラ焼きと味噌カレー牛乳ラーメンはAmazing AOMORI(青森県観光情報サイト)、黒石つゆやきそばは黒石市、りんごの収穫量は農林水産省「青森県の農林水産業の概要」(令和6年の数値)をもとに、2026年10月時点でまとめています。由来には出典の中でも諸説があるものがあり、その場合は出典の書き方に合わせています。